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信行体験談

母の信心(家族一同母の姿を見習って)

2018.06.30

第3連合 淀川第1教区1組 岡本 誠二

 昭和40年12月、現在の地に工場兼住居を入手し、仕事を始めました。当時母は事業主であった父に対して「お父さん、新しい土地に来て、私たちが住むことができるのに、仏さんの住むところがないやんか。仏さんにも住むところを建ててあげてよ」と父に言い、当時借金まみれの父も悩んだ末、母の言うとおり、御宝前を建立し、御尊像様もお迎えさせていただきました。すると不思議なことに仕事の量は増え、すぐに借金返済の運びとなりました。
 昭和55年3月、私が北海道スキーツアーに参加して現地で右足大腿部を骨折し、家に帰る事なく空港から直行で家の近所の外科病院で6ヶ月間入院をしていた時、突如当時の組長夫人が病室に来られ、開口一番「兄ちゃん、親不孝ばっかりしたらあかんでぇ。もうええ年ねんやから、心入れ変えて親に心配かけへんように信心せなあかんでぇ」と言って、病室を去っていきました。その当時の私は腰までギブスをしていて寝返りもできず、天井しか見れない入院生活を送っていました。なんの変化もない入院生活で母が世話をしに来てくれた時、組長夫人の言葉を告げた結果、母は「おまえは、やさしいとこがあるから、お母さんは不幸にされているとは思わん。お父さんの仕事の後も継いでくれて、むしろ嬉しく思ってるでぇ。でも佐々木さんが、そうやって言うてくれてるんやったら、退院したらいっぺん、御講にいってみたら」と言われました。
 退院後、母の言うとおり組御講に参詣させていただきました。まだ正座も出来ない自分に対し、まわりの青年会員の方々のやさしさに感激し、その後は母と共に組御講に参詣ができるようになり、父も当時の壮年会集会に参詣するようになりました。平成9年ご信者さんの娘さんとの結婚が決まった時は両親とも泣いて喜んでました。
 こんな人生の要所で適切なアドバイスをくれた母も老いには勝てず、平成27年1月6日に帰寂しました。生前より母は「入院なんかせんと、明くる日になったらベットで死んでたわぁみたいな死に方をしたいわぁ」と言うのが口癖でした。
 平成27年元旦を家族4人でお祝いし、初組御講や初婦人会御講の日程を確認し楽しみに過ごしていました。 
 1月5日、持病の「ぜんそく」が少し出てきたみたいなので念のため、救急病院に連れて行き治療を受け、「眠たいから、もう寝るわぁ」と言って自分のベットで就寝しました。明けて6日朝8時ごろ、妻がパートに出る前に「お薬、飲んどきや」と声をかけ、母も「わかった」と答えました。ですが、それが最後の言葉になってしまいました。「誰にも迷惑かけず、ころっと死にたいわ」。その言葉どおりの臨終を迎えることができたのは、母の日ごろのご信心、そしてご宝前へのお給仕をさせていただいた功徳と感得いたしました。
 家族一同、母の信心を見習わせていただき、これからもますますご奉公させていただきます。

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