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信行体験談

母から教えられた原点~母の声を思い出しながら~

2020.03.15

第7連合城東第2教区2組 永尾 正弘(ながお まさひろ)

 私は法燈相続2代目の信者です。私の両親は昭和2年に入信させていただきました。
 母は非常に熱心な信者でした。私も幼い頃から母に連れられて、毎日のようにお寺や御講にお参りしていました。戦前の清風寺の大本堂も記憶に残っています。
 厳しい躾の中で、学校へ入る頃には一人でお参りできるようになっていました。夏休みは信行学級、日曜日はお寺参詣、学校へ行くときは「御宝前にご挨拶したか」と母の声、帰ってきたら御宝前に「ただいま」とご挨拶。通知簿(今の成績表)は必ず御宝前にお供えします。母は成績よりも「御宝前のお護りのお陰で無事に学校に行けるんやで」が口癖でした。
 父は御宝前に手を合わせませんでした。私が大きくなってから話してくれたのは、私が生まれる前、私の姉にあたる3歳の娘が、両親がお看経中に家の外の深い溝に落ちて亡くなりました。それから父は何も言わず信心から離れてしまったそうです。一方、母はそのときに責任御講師から、前世の因縁、過去の罪障、人間の業ごうの深さについて、お折伏をいただいて、それまでの苦労や自分の罪障の深さを自覚し、信心を決けつ定じょうして、より一層励むようになったそう
 その後、私が生まれました。母は、息子の私が言うのもおかしいですが、本当に素直正直な信心前でがんばっていました。あまり裕福でなかったので、手内職をしながらご信心第一の毎日でした。
 中学生になると、私も3歳下の弟も青年会に参詣し、信仰を自覚して、自分の意志でご信心に励んでいきました。それでも母に言わせれば「まだまだ信心が足らん。思いが悪い」と、よく叱られました。やはり〝している〟という気持ちではなく「自分の罪障や業を消滅するためには〝させていただく〟という心が自然と身に付かなアカンのや」と教えられました。
 父も40歳を過ぎて胃を患い苦しんでいたときに、責任御講師のお折伏をいただいて改良し、命を助けていただきました。母は晩年、事故で失明しましたが、一言の愚痴も言わず、「わては罪障深いのやなぁ。死ぬまでに消えるかな」と、一日中御宝前と向かい合っていたのも、私には大きな教訓になっています。
 永い年月の間には惰性になりがちなことも多くありますが、そんなときは「いつも御宝前様がお見通しやで」という母の声を思い出しています。
 現在、私は2人の息子と5人の孫に恵まれ、病気もなく元気にくらしています。これほどのご利益はないでしょう。残りの人生、精一杯精進させていただく所存です。

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