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信行体験談

原爆が投下された町・広島を訪れて

2015.08.25

清風寺青年会 2連合大正港教区 牛尾 健佑

 ありがとうございます。
 この度、戦争の悲劇を伝える町〝広島〟を訪れて、体験させていただいたことをお伝えします。

 8月5日、鈴木英信御講師と大東教区の平田将剛さんと共に、まず呉の海上自衛隊呉資料館と大和ミュージアムに行きました。
 海上自衛隊の資料館では、日本初の巨大潜水艦が陸上で展示されていました。別名〝てつのくじら〟と呼ばれています。中に入って潜水艦の舵を握ると、車のハンドルのような感触です。船内の兵士の居住空間は、ベッド・食堂・シャワー室・トイレ・望遠鏡・艦長室などに分かれており、艦内の通路は新幹線の通路ほどの狭さでした。兵士達はここで生活し、シャワーは3日に一度で、一人15リットルの使用制限があったそうです。船内の照明は、夜中は闇に目を慣らすため赤色、日中は白色へと切り替え式の電球でした。ベッドは、3段式で上下の高さが約50センチくらいと思われ、ただ身体を横たえるだけの空間です。僕が兵士だったらとても耐えられない場所でした。また、船内には、実物の魚雷がありました。これまで、日本近海には2万個以上爆弾が沈んでおり、除去されてきた現在でも三〇〇個ほど残っていて、除去活動はまだまだ続いているそうです。
 大和ミュージアムには、戦艦大和の模型や特攻隊員が実際に使用していた零戦が展示されていました。戦艦大和の模型は実物の十分の一の大きさで、全長二十六m、横幅三・八mなので、実際にはものすごい大きさです。最強の戦艦と呼ばれていた大和が、米軍の攻撃により沈没したと聞いて、米軍の攻撃力が日本より遥かに上回っていたのだと思いました。
 零戦は、見た感じ頼りない造りで、映画やドラマで見るように〝死〟を思わせる乗り物でした。

 翌日の8月6日、式典が始まる前の六時頃、平和記念公園に行き、慰霊碑の前で三人で合掌、御題目を数分お唱えさせていただきました。その後、佛立寺さんに朝参詣、お看経の後、心づくしのご供養をいただきました。その後、式典会場は〝暑いから〟と凍らせたペットボトルのお茶を佛立寺のご信者さんより頂戴し、交通規制のある中を自家用車で、わざわざ平和記念公園の近くまで送っていただきました。
 平和記念式典では、外国人の小・中学生と見られるスカウトの方々が、献花用の花一輪とパンフレットを配布していました。パンフレットには折り紙が一枚挟まれていて、英文での折り鶴の説明の用紙も付けられていました。僕は、外国人の子ども達が式典に参加し、平和のために活動している姿を見て、心を打たれました。

 午前八時より式典が始まり、広島市長と遺族代表による原爆死没者の名簿の奉納があり、広島市議会議長による式辞の後、代表による献花。原爆が投下された午前八時十五分に黙とうし、平和の鐘が鳴らされました。広島市長の平和宣言では、原爆投下後、広島の町が一瞬にして破壊され、黒焦げで抱き合う親子や、川にたくさんの遺体が浮かんでいたこと、建物は焼け崩れ幾万という人々が焼け死に、昭和二十年の年末までに十四万人もの命が奪われたこと、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米国の捕虜なども含まれていたことが語られていました。その苦しみは心身に原爆による後遺症や差別・偏見という形で現在まで残っている。また、生き残った人の様子も伝えられ、現在、全世界に一万五千発を超える核兵器が存在していることに〝非人道の極み〟〝絶対悪〟と核兵器の廃絶を熱く訴えられていました。
 その後、百羽以上と思われる鳩が放たれ、平和への誓い、と続き、内閣総理大臣、広島県知事、国際連合事務総長の挨拶の後、ひろしま平和の歌の合唱で閉式となりました。式典終了後、長蛇の列にならび、慰霊碑に献花をし、一旦会場を去りました。

 その後、再び佛立寺さんへ伺い、伊田御導師より、直接被爆された様子を聞きました。御導師は十四歳の時、登校中に被爆。学友は身体の正面から被爆した人が多い中、御導師は左半身のみに大やけどを負い、半年間はやけどが腫れあがり、左耳は原型をとどめていなかったそうです。自宅へ帰ろうにも通りには死体が折り重なって通れない、町中に火柱が立ちこめる中を、線路伝いに遠回りしながら帰宅されたそうです。
 伊田御導師は「戦争は二度と起こしてはいけない。戦争はなぜダメなのかを多くの人に理解してほしい」と強く語っておられました。
 伊田御導師曰く、当時は本が読みたくても燃やし尽くされてしまい、食べる物も着る物も何もない状態だったとのこと。終戦後は、食べ物も握りこぶし大の量の物を、家族六人で分けたり、被爆を免れた畑から菜っ葉を分けてもらって食べたり、小さすぎて捨てるような種芋を食べて飢えをしのいでおられたそうです。

 伊田御導師からお話を聞いた後、平和資料館に行きました。爆心地の模型を見て、あったはずの町が一瞬にして燃え尽くされたことに、身の毛がよだち、核兵器の恐ろしさを感じました。被爆者の実物の爪や髪の毛や、もんぺや弁当箱や仏像など、多くの物が燃え固まり、溶けた状態のまま展示されていました。落とされた原子爆弾の模型もありました。こんな物ひとつで、京セラドーム収容人数の3倍にあたる14万人以上の命が一瞬にして失われたかと思うと、核兵器の所持・行使は絶対にいけないと痛感しました。

 現在は、物資も豊かで戦争を知らない僕達は平和な毎日を過ごしています。寝たいときに寝て、食べたい時に食べて、非常に幸せな世の中だと思います。
 今回、戦後70周年となる広島へ初めて訪問させていただき、改めて命の大切さ、戦争の恐ろしさを考えることができました。かの地を訪れたことのない人には、平和資料館へ、是非一度行かれることをお勧めしたいと思いました。
 地球上では、戦争・内乱・テロなどの争いが絶えず、事故、病気、天災などで命を失うこともありますが、一人でも多くの人が、御題目によって救われてほしい、一遍でも多く口唱に励ませていただかないと……という気持ちになりました。貴重な体験をさせていただき、今後の大きな糧となる二日間でした。

平和の鐘にて(左から牛尾さん、鈴木師、平田さん)

平和の鐘にて(左から牛尾さん、鈴木師、平田さん)

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